犯罪者を刑務所に収容するのは、どうしてか?
犯罪に対する応報や犯罪者を社会から遠ざけることで社会を安全に保つ必要がある。古くはこうした考えから、犯罪者を投獄・処刑していました。18〰︎19世紀、犯罪を犯した者は、その悪性格から犯罪をするんだ。だから社会からは隔離すべきだとする刑罰論がまかり通っていました。当時、貧富の差が激しく空腹の自由しか与えられていなかった庶民が仕方なく犯罪を犯しても、その悪性格を持つ者として凄惨な刑罰が加えられていました。
しかしこうした考え方に対し、犯罪は社会にもその責任があり、しかも犯罪者は矯正することが可能であるとして、刑務所における処遇に意義を認め,犯罪者の改善更生と再犯防止を目的として刑務所に収容する、とする考えがあります。現在ではむしろこうした考えのもとに受刑者を処遇している。これらのことは大学の法学部であれば当たり前に教わることであり、基本中の基本と言える。
テレビの世界では、ある犯罪があり、それに対して弁護士などのコメンテイターなどが考えや法律についての説明をする番組が、とても多く日常的ですね。そこでのある弁護士の発言に、とても驚いています。事例は、水原さんの高額横領・窃盗の話です。
26億円という高額で、他人である大谷さんの預貯金を自分のギャンブルに使った事件です。この事件の水原さんについて、その弁護士は、「彼の悪い性格が出たんだ。だから厳しい制裁が必要だ。」と、繰り返し述べられました。
『悪性格だから、厳しい制裁を加える。』
この弁護士は、犯罪=悪性格と捉えている。そしてこの考え方は、一度でも犯罪を犯すと、「ほら悪性格が出たぞ。制裁だ。隔離しろ。」ということになります。歴史が証明しています。
この考えは、「一度でも犯罪を犯す奴は、また必ず犯す。なぜって?悪性格だから。」となる。
とするとその社会では、失敗やミスが許されない。告げ口した者が生き残る社会。怖い社会ですね。
確かに、再犯を繰り返す犯罪者はいます。でもそれを基準として、一度犯罪を犯せば一律悪性格とするのは、間違っています。反省や悔恨など、無意味となってしまいますから。失敗を繰り返さない努力をすることこそ、人としての価値だと信じています。そこに刑罰の存在意義があります。
現在の私たちの社会が前科のある人を受け入れるのには、まだ抵抗があるのも事実です。
それでも、法曹界の一翼を担う弁護士が『悪性格』論を持ち出すのは、どうなんでしょうね。
大学で、一体何を学んだの?